自分自身のものさしをみつける

コダマ凛です。

私自身のものさしをみつける

ものさしとは、距離をはかったり線を引いたり、切断する際に使用するものらしい。

ものさしに記載しているような綺麗な単位など心の中、身体にあるものか?

だからこそ、自分の物差しは伸び縮みしてもよいのではないかな。

だから、あぁ、わたしの物差しはこんなんやなって思うのも大事やないかな。


私は女性で割と長身なんです。みるとそれほど背は高いように見えない、なぜかというと顔が案外と小さめらしい。個人的にはいまいちわからないけれど、そうらしいのでそうしておきます。猫背気味ということもある。最近はスマホ首で亀かもしれない。

下半身も大きいので妙に下にバランスもあるのだろう。

このように距離を測っていると、知らぬ間に一般的なバランスを話すことになってしまう。この一般化が先程のものさし。

鏡やカメラがない時代はどのような時代であったのか?その昔は、鏡は見えにくいものだったかもしれないので、想像、イメージの中で自分を作っていたのでしょう。

しかし、写真です。写真は撮ってくれた人が、被写体をどう思っているのかが写り込んでしまったりもして、残酷です。

ある時代、汚く写す写真が流行ったように思う。本当に心が苦しくて、女がもの扱いを受けているというひどい時代だ。(荒木経惟さんのような写真のこと)

カメラや写真の発明は、人の心をとてつもなく変化させたに違いない。

あるがまま、明らかになるということがおこる。

長身の話に戻りますが、背の高い女はやはり高い分だけ、ちょっと甘える、媚びるということが苦手だ。第1そのような対応の仕方はされていないから慣れてない、

あの小さな女の子たちのように、自然と雑踏の中に隠れるという困難にあうことはそうない。遠くをみてあそこ席が空いていると目敏く見つけてしまう。

ちょっとボーイッシュなおなごは、小さな女の子たちからボーイフレンド代わりを仰せつかる。

なので、人は時々自分の性別さえ、人の性別さえ変えてイメージの世界を創りあげることができる。

人の不思議なところは、想像の中であるものを現実だと思えるところ。

だからイメージをして、現実化し、夢を叶え、引き寄せなさいということができる。

しかし、この誰かはきっとこう思っているというイメージで人は世界に対応している。

なので、そのままリアルなまま、その通りっていうのは難しいのです。

タロットなどの講座などしていても、カードの意味を知っても、そのまま読めないということは多いのですね。

不思議だなと思う。

誰かに言われた言葉や体験から想像しているということがあらわになる瞬間。

毎日鏡をみているのに、みるべきものをみていない。日々忙しかったり、考え事に長期間とらわれる、恐ろしいぐらいに私のことはみえてなくなっている。周りの人もそんなこと教えてくれなかったりもするからね。不思議だね。

体系などの横広がりにさえ気づいてなかったり。

こんな時は骨盤や諸々が広がっていて、全体が広がるのでわからなくなっているのですね。

自分自身も、家族や周りの人との関係で自分をみていたら、知らぬ間にそのものさしができていて、それが当たり前の自分と思い込んでしまうものだ。

それに周りの人もそうであるあなたをあなたと思っているので、だれも変化への道筋を作ってはくれない。

日々、体が変わるように心や自分の目標も変わってしまっているもの。

まして、自分以外の人の体と心も変化している。それは自分自身の中に息づく波に揺られながら生きている。

愛することも愛されることも日々変化している。愛するというと金星なのだ。

ホロスコープの中でどこにあるのかで、どのように愛するのか?愛されるのかを読み解くのだけれど、金星は牡牛座と天秤座という二つのサインを管轄している。

この自分の中にこもって楽しむのは牡牛座的喜び、人の中にあって魅力的であろうとするのは天秤座的な要素。

自分を楽しまないといけないし、ほかの人も喜ばせないといけない。

まさにホスピタリティ。ある意味、プロの接客業。

これは男女問わず、背が高かろうが、低かろうが、美醜に関係なく、あるのだ。

だからといって気づいていないといけないのが、愛されることにこだわり過ぎないということ。顔色を見て生きることになる可能性や依存的関係など関係不全となって、いつかは破綻が訪れる。

自分のものさしはいつも揺れている。

他者との関係をものさしが切断するように線引きするようにではなく、自分自身を鼓舞し、自分自身の距離をはかり、その揺れを感じながら、伸び縮みすることを受け入れる。

すると自分の範囲がだれかを受け入れていけることにも気づき、無理のない線引きができるのではないか?

ほかの人はそのまま見ていたから、あまり驚きはしない。記憶の誰かが写っていて永遠に愛を表現できたのだろう。

自分が思う自分はうぬぼれ屋さんなのだ。

案外匂いや見た目や諸々において案外と気づいてない。慣れって怖いという話でもある。

美しいものが好きな人、愛そうとする人は人を写すのがうまいはず。

綺麗に割り切れない所にその方の美しさが宿っているように思います。

割り切れない、グズグズも大事にすることって素敵ですね。

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