
物質的なもの、ことさらにお金で買えるもののことだけが人々の口の端に上る時代は珍しいものではないかと思う。
僕たちはお金がパワーであると信じている。役員や政治家といわれる人にはその傾向が顕著である。
お金をいっぱい持つと、人々に尊敬され、お金をいっぱい持つと、人々にうらやましがられる。今時の子どもたちはまず例外なくそう考えている。
「お金の全くない世界」の片鱗を垣間見、「正しいことをやっていれば必要なだけのお金は必ずやってくる」という宇宙の法則を信じて以来、ぼくたちは必要以外のお金をほしがることは避けるようにしてきたのだが、そうしたコズミック・プロフィット(宇宙からもたらされる利益)を頼りに生きることはこれで案外むずかしく、絶対に必要以上にはきてくれないから困りものである。
そして入ってきたお金はずべて足早に出ていく。
お金とは不思議なもので、持っているとなんぼでも欲しいものが買えるような気にさせられてしまう。
実際、物質によって支配されている世界では、お金があれば際限なくほしいものが買えてしまうだろう。
ところが目に見えないものの世界においては、事情は異なる。そこではほしいものがなにひとる買えるわけではない。
お金がまるっきり役に立たなくなる。
目に見えない世界においては、なにひとつ値札のついているものが存在しないのだ。
その世界のなかにあるものは、どれも与えられてはじめて自分のものにできるものばかりである。愛情にしろ、思いやりにしろ、尊敬にしろ、崇敬にしろ、信頼にしろ、献身にしろ、こうしたものは「与えられる」か、あるいは「無条件に差し出す」かの、いずれかしかやりとりができない。他の道はそこにはない、目に見えない世界からやって来るそうしたものを使うとき、ぼくたちはほんもののパワーを使っている。地球のレッスン 北山耕平
お金では買えない世界の存在より
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