赦すことと成長・癒やされること。

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赦すこととはどのような意味があるのでしょうか。どのような行為なのでしょうか。

赦すことと成長・癒やされるということは時間を進めること。期待を捨てること?自己憐憫や相手を責めることから自由になること。過去に起こったことをずっと眺める時間を終わらせること。

赦すことは「あなたを傷つけた人を赦すこと」または「あなたが傷つけた人に赦してもらうこと」があると思います。

そして生きること存在することへの赦すという側面もあると思います。生きることは苦しいことも多いので、存在すること自体が困難とも言えます。それは人類の課題とも言える側面もあります。生きることそのもので起こること全体として赦すという境地もあると思います。

赦すという言葉によって自分を否定したり、できない人を器がない、スピリチュアル、精神が弱い、心が弱いというように感じて裁定されるように感じることもあります。

「赦すこととは本来どのようなことか」

赦さないといけないと思うような時はどのような時でしょうか?

人間関係で酷いことをされた。お世話になっているから赦さないといけないという思いが湧く。

表立って何かをされたわけではないけれど、どこか傷ついて辱めを受けたような気がする。

赦さないといけないという思いには、すでに過去のことになったけれどずっとその感情や経験を忘れずにいて忘れようとしている。その行為、されたこと自体を無かったようにせねばならないとも言える時ですね。

個人的なことを思い出す。そしていろいろなお話を伺う中で思うのは、

「その経験によった傷にずっと関わり続けることは必要ない」ということは明らかです。

いきなりの別れなどがあると、人はその人、または集団のその人たちに自分の今の状況や思いを伝えたくなるようです。

それが自分を苦しめた人を懲らしめたい。またはそんなに気にしていないということを伝えたいのか?すごく傷つけられて、傷つけられたということは他者が自分にとって重要でない、だから傷ついていないということを伝えたいという負けん気?強がりから発している場合もあるかもしれません。

しかし、その辛い体験、傷ついた体験から浮かび上がった思いは宙ぶらりんになっているのかもしれません。

自分が何か相手を傷つけたようで、しかしすでにコミュニケーションが取れない場合は、そのような意味でやったことではないと伝えたいなど様々ですが、目の前にいない人に、もしかして相手は気にもしていない人にこちら側が何らか執着する、時間が止まっている状態が作り出されている状態にいる方は多いと思います。

その時に赦すという行為が問われるのかもしれません。

赦すことによって、時間が進み出す可能性は高いです。赦すという手放すという行為が現れるかもしれません。

手放すということは、所有しているのでしょうか。まるで自分が何かできるという思いがあることに気づき、出来ないということを赦さないといけないのかもしれません。

これは人生の中で起こる様々な出来事に対しての赦しの側面かもしれません。

では誰かへの「恨みつらみ」誰かへの「罪悪感」はどうなのでしょうか。

何かが起こって今このようになっているという言い訳になっていないのか?自己憐憫になってはいないのかを考えることが必要です。過去の出来事に今、未来を拘束させて良いのでしょうか。

何もしない言い訳にしてはいないのか?解決ができないこと。その人と和解ができない。話すことで終わりを確認することができない。その時に心の強さ、赦すという行為が必要なのかもしれません。

時間を進ませるためにも赦すという決断、境界線を引くことが必要なのかもしれません。

赦すとは、忘れることができるようになったり、思考からそのことを考えなくなるということもあるでしょう。

忘れるわけではないけれど、そのことに時間を奪われない。思考から辛い過去の出来事が離れていく(考えると人は重大なことだと思う傾向がある。)ことで、重要なことだというマインドコントロール状態から離れることができます。

パートナーに酷いことをされているにも関わらず、相手が酷い仕打ちをすることを赦してしまわれる方もいらっしゃいます。どうしても対立を嫌ったり、後で不都合な雰囲気を嫌い、空気で行う。承認欲求が強い人だとすぐに赦してしまう方も多いようです。

承認されないこと、承認しないことで不都合な状態を招くのを恐れます。

しかし、自分の中に傷ついた人がいる。しかし、パートナーとしたら、「赦されたのに何故にまた過去のことを掘り起こしていうのだと逆になじられるかもしれません。」

別に赦さなくてもいいんですよね。納得いかないことは納得いかないままにしておくことがとっても大事なんです。

もしかして長い時間が必要な時もあるでしょう。

自分の無能さ、自分のプライドから赦しを得たいと思っている場合もあるでしょう。

その場合は相手は納得していないのに、あなたを赦さないといけなくなるかもしれません。

私にとっての赦しが必要だったのは、家族と自分の人生は違うのだということを受けいれたことかもしれません。

何かしたい、できることがあると思った前半人生から離れることで自分の人生を生きることをしました。それでも何か家族への期待が大きくあったかもしれません。

同じ価値観であることを確認したかったのかもしれません。しかし、自分を生きるには家族とは難しい。

そして家族それぞれの人生において求める経験が違うということを頭ではなく、関係性から事実として違うんだと思います。

それは家族、そして自分を赦す。この世界を赦すことでもあったように思います。

期待を手放した。自分の人生の中に家族との自分なりの期待、そのような世界があることを願っていたけれど、他人の人生は他人のものであります。

だからと言って家族が悪いわけではなく、私は私であったということなのですよね。

赦しの中にはどのような期待があるのでしょうか?期待?理想?愛?

癒やされるということは強い失望と共にやってくるのかもしれません。

それは私たちに大いなるタフさを求めてくると思います。

自分の思いとは違うこと。すれ違いによって自分が相手に届かない。相手の中で自分が別の存在として生きていることが耐えられない。しかし、それも自分なのかもしれないと赦すことなのかもしれません。

あなたの時間が止まって、立ち止まっている時、それは大きな人生の赦しの時が始まっているのかもしれませんね。

断ち切りたい過去のこと、本質的な大事なことと知りたい。終わらせる、始める未来をお伝えしています。

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