
セルフ・ヒーリングとセッションを深めるための様々な取り組みをしておりますが、その中で恒星に関するセッション
パラン占星術やヘリオセントリック占星術に関しての取り組みのメモです。
恒星トリマンへ透視、ヒーリング体験ーギャラクシーソウルナビゲーション
白くうねる女神がいる。
仙骨の浄化が起こりました。下の世話をするというのは幼児の成長の中で大きな一歩だと思うのです。
私自身も子供でしたので、おねしょやここで催しては行けないところで催すというのは子供の証とも言えますよね。
大きくなって、様々な体験をし、様々な人と出会って来ましたが案外と下の世話というテーマは大きいと思っておりました。
時々クライアント様のオーラの中に「裸の存在」がいたり、自分の下の世話をどうしようかと悩んでいると感じたり。
もちろん私自身も無意識でこの下の世話が出来てない。
だからしっかりしなきゃと思っていたところがあるのだなとしみじみと。それに小さい頃は誰かにしてもらっている。
自分の恥ずかしい場所とも言える下の世話をされている。見られている。
トリマンに行き思いました。
時々、下半身がない。または下半身が裸というふうに思ったり、あるエネルギー体を見かけたら
下半身が気になる。
これは本当の意味の下半身の性的な意味も持ってない場合があることをお伝えします。
まさに排泄などにかかわってくる下半身裸。おねしょしたらパンツを脱がされて、そこで立たされるという体験に近いです。
恥ずかしいじゃないですか。もしかして公衆の面前でされたことがあるかもしれない。
しかし、そのままで立たされたり、パンツをなかなか履かしてもらえなかったりというあの恥ずかしさ。
その恥ずかしさって、恐らく幼い頃に深く無意識下で残っているように思うんですよね。
えらい迷惑かけてすいませんという意識として、恥かしい思いをさせられていることに目をつむらないといけないから。
今回は、その逆の方向から「パンツを穿かなくても、垂れ流すことはない」という気づきです。
私個人的には水瓶座の月なので、何処か清貧の思想的にあって、所有への抵抗というかミニマリストな方がしっくり来るんですね。
しかし、牡牛座の太陽は所有するテーマがあり、それも哲学的な要素をあらわすあたりのサビアンにあるので
これまた所有したいのは思想であるということ。そして頭でっかちの自分の先入観を捨てる。ある意味シャーマニズムの「履歴を消す」
しかし、所有とは手放したりぶちまけないとわからないものです。
垂れ流すという言葉に対してのエネルギー的転換があったように思います。
仙骨の浄化の中でパンツを変える。パンツはいてなくても平気
「十分にあなたは自分の意志で自分が流す、排泄することができ、また流しさることができる」
仙骨が動いたということでいうと様々な人との関わりや金銭的な要素の変化が起こる可能性が高いかと。
トリマンは、ケンタウル座にあり、人馬の人と馬が切り離されていたがこのトリマンによってここで人馬に戻る。
それはケンタウルス意識と呼ばれるもので、肉体とエーテル体に統合されるということ。
エーテル体は一般的に人の姿をしていない。
ケンタウルス座で有名なのは、やはりキロン、カイロンですよね。
トリマンとは・・・ケンタウルスであり、ケンタウルスは犠牲を伴う。
トリマンとアゲナはセットである。以降は
セッションの中でもこの大人になってじぶんの始末をできるということをエネルギーの中で模索される方は多いです。
なかなか依存的な親子関係だとあえての世話をしてもらうことを親に提供させられている関係ものあります。
恋愛関係などでも世話をするという側面で成り立っている場合もありますよね。